「落語家のお正月」と私と。
地方で落語会を主催される方、そして落語会の開催を通じて落語家さんとお付き合いが深いという方は少なからずいらっしゃると思いますが、「落語家のお正月」に顔を出すという方は少ないのではないでしょうか。
俳優の池波志乃さんは、落語家の十代目金原亭馬生師匠の娘さんで古今亭志ん生師匠のお孫さんというのは有名ですが、噺家の家で育った幼い日々の思い出をエッセイに書いていて、その中に「落語家のお正月」について書いた一本があります。(『食卓のある風景』(徳間書店・徳間文庫「正月はおかみさんのキンピラから」)そこから引用・紹介します。
以下紹介。「 」内は引用です。
住まいのある谷中の商店街の喧騒から始まり、クリスマスの後、品ぞろえががらっと変わる魚屋の店先。
前座に渡すお年玉の袋に入れるお札を三つ折りにする親子、新年に新調する紋付き袴や、配りものの手ぬぐいの準備。手ぬぐいの数は相当なものになり、支払いも少なからぬ金額となる。
「縁あって噺家の手拭を貰った方は、どうか寄席にお運びくださいましてご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます」。
大みそかに作る、翌朝の酒の肴のお煮しめ・焼き豆腐・キンピラ。
特に評判の良かったキンピラの味つけは日本酒に合うようにと、母はお酒を口に含んでから味見をしていた。
元日の朝、五時半に起きて御膳の用意。七時にはお弟子さんが挨拶に来る。
そこから寄席に出かけてゆく人、仕事のない人。しかし妬みそねみは表に出さず、ダジャレやバカっ話で盛り上がる酒の席。
それをお酌をしながら噺家の娘として見つつ思うこと。
「噺家は、お正月にどれだけ飲んで騒いでいてもほんとうはだれも酔っちゃいないんだ。だけど、ちゃんと酔っ払いになって、駄洒落をとばしてバカ笑いをしてないと貧乏神にとっつかれるぞ。おかみさんは裏で美味い肴を用意して、たとえなけなしのお金でも、お年玉を笑顔で作りゃきっと何かが戻ってくる」。
志乃さんが幼い時の話です。今では異なる一面もあるでしょう。
とはいえ、優しい文章の中から、落語家の世界がどんなに好きであったとしても一観客には入り込むことができない心の内がある、というのをしみじみと思い知るのです。
今年も、節度を持って演芸の世界と関わり、一回でも多く足を運んで客席で笑うことで、感じた何かを情報として伝えることができればと思っています。
令和二年。
本年も、東海落語往来とインターセクションを、どうぞよろしくお願いいたします。
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