ふんまつつるべ。

Photo_20220307114101

(じろ☺︎@1y🎀さんのツイート)

 

ある時、ツイッターで「粉末鶴瓶」という言葉が出てきました。
何だ? と思って検索をかけたら、どうやら伊藤園の粉末麦茶のパッケージに、CMキャラクターをやっている笑福亭鶴瓶師匠の顔写真が貼ってあって、赤ちゃんにも優しいお茶ということで、用いる時に「粉末麦茶」の言い換えとして「粉末鶴瓶」という言葉がそれなりに使われているもようです。「粉末」で、一瞬、頭の中におぞましい映像が浮かびましたが、そういうことではありませんでした。


伊藤園 さらさら健康ミネラル むぎ茶 (チャック付き袋タイプ) 40g

検索をさらにかけると、麦茶=鶴瓶ということで、粉末のみならず「缶入り鶴瓶」とか「鶴瓶のペットボトル」とか、字面を素直に読むとおだやかでない言葉がちょこちょこと出てきます。ただ単に麦茶のパッケージに鶴瓶師匠の顔が印刷されているだけということなのですが、ここまで商品として利用されている落語家の顔があるでしょうか。落語家である以前に、顔そのものが商品として認識されているタレントとしての扱い。CM契約が無くなれば消える言い回しだとは思います。

落語家であることがまず前面に出ることが多い落語家のタレント活動の中で、己の存在を商品と同一化されて(されて)なおその価値を失わない。そこまでタレントであることが思い浮かぶ落語家としては、現役落語家では唯一無二だと思います。顔だけで落語家と認識される存在としては、柳家金語楼以来ではないでしょうか。…ふ、古い(私も実際のところは知りません)。

粉になったり缶になったり、そこまでされて大丈夫なのかな? と思いましたが、考えてみたら、過去には生理用ナプキンのCMで「月のもの(つまり、生理の経血)」になったりしているので、モノ化されて見られることに抵抗が無いのでしょうか。
落語家としての己であること以前に、他人に定義される自分になることへのハードルが、他の落語家に比べておそらく低い。

ここで、本来だったら落語家として鶴瓶師匠の高座と関係づけて語るべきなんでしょうが、残念なことに、私は鶴瓶師匠の高座を客観的に評価できるほどきちんと見聞きしていないんです。静岡(清水)で2回、あと、映画館の配信で1回くらいでしょうか。

ただ、そういう己以外の何物かになることができる才能というのは、この方の俳優としての評価の高さにつながるのかなあ、と、そんなことを思ったりもしています。

そういうわけで、今度、コンビニで麦茶を買おうと思いました。

 

 

 

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さりげなく。

2022年3月1日のサラメシ冒頭は、郵便局にカレーを届ける前局長の話題でした。

 

サラメシ シーズン11(33)「郵便局のカレー▽橋田壽賀子の鉄板焼き」

高知県土佐市。退職した前郵便局長が作るカレーが、後輩の郵便局員たちに好評だ。カレーはもちろん、自ら手作り。ほぼ月イチペースで、みんなの楽しみな昼食になっている。カレーを通じた、心温まる交流とサラメシを拝見!

小さな郵便局、退職した前局長が、後輩のために月一回届けるカレー。微笑ましい話題ですが、ところどころに現実がふわっと顔を出します。

  • 前局長が退職したのは13年前の53歳の時。営業などのノルマがきつくなり、今まで顔なじみで済んでいた間柄も「免許証の確認」などで面倒になり、退職を決意したが後悔はない。
  • 前局長に抜擢された女性の現局長、郵便業務だけではなく保険や貯金の業務も少人数でこなす。カウンターで「民営化されたんだから、つぶれないということはない」。

見ながら思ったこと。

郵便局の民営化は2007年。地道に地元で郵便局員として仕事をしてきた前局長が、民営化で業務の質が変わり、退職を決意するしかなかったんだろうな。そして新局長は、民営化された郵便業務を新たな心構えで日々の業務をこなしてゆくんだろうな。

画面はルーを4種類入れて作られるカレーを、そして畳敷きの郵便局のバックヤードで食べられるカレーを淡々と紹介しています。
けれども、その中に、さりげなく入り込む郵政民営化の現実。いいとも悪いとも言わない。ただそこにある状況を紹介するだけ。

あ~、こういう表現私好きだな、と思いました。問題点を真正面からとらえるのも大事だけど、そういう取材や表現では萎縮してしまう対象などを、物や人のクッションをかませて紹介する方法。

…そういうふうに、社会問題を取り上げたいですね、と、お役所のPR誌の編集のお手伝いをした時に提案したら、「は?」と言われてしまいました。そんなことをおいしそうなカレーを見ながら思い出しました。

画像は特に意味はありません。観光案内から引用しました。

 

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普通の女性をテレビで見つめてみた結果。

最近見たテレビから、2例ほど。
(1) バラエティ番組。スタジオで、同じ趣味を突き詰めた女性二人が並んで話をしていました。ひとりは主婦、もうひとりはタレント。同じくらいの知識量でどちらも熱心に話をする。その熱さはともに共感が持てるものでした。

タレントは鮮やかな青色が印象的なノースリーブのブラウスを身に着けていました。そして主婦は、この日のために選んだよそゆきのためのストライプのプリントブラウスじゃないかな。そんなことを思いながらテレビを見ていました。
そのうち、番組が進行して時間が経つにつれて、主婦の服が、強いライトの下で、その服の仕立てや繊維が量販店のものであること、そして何度も洗濯をしたのであろうへたり具合が見えるようになってきました。タレントのブラウスはそんなふうには見えません。二人の服が、

「テレビに出るために購入したわけではない何度か着たよそゆき着」

「テレビに出るために購入した非日常着」

の違いが、テレビカメラの前ではっきりとわかりました。

これが一瞬の出演だけだったら、そんなことまで気づきません。番組が二人を真摯に取り上げ、一緒に並んで少なからぬ時間画面に映り続けているからこそ、タレントの服とははっきり「違う」ことがわかってしまう。それは主婦にとってあまりにも残酷な現実のように思えました。

(2)これは番組名をはっきり言います。NHKEテレ「SWITCHインタビュー 達人達」のある回です。
この番組は、前半と後半で場所を変えての二人の対談番組です。ある時、対談相手の一人として登場した女性のメイクと服装が前半と後半で明らかにはっきりと変わっている、と感じた回がありました。もちろん二回の対談の日付と場所が違うわけですから身に着けるものなどが変わり、それに伴ってヘアメイクを変えるのは当然のことです。ですが、私がその時はっきりと違いを感じたことを覚えているのは

「前半は本人が選んだ服装であり日常のメイク、後半はプロのメイクとスタイリストをつけて場とイメージに合いカメラ映えする最適な服とメイクにした」

ということです。
もちろん前半の服も似合っていましたし、メイクは薄かったですが好感の持てるものでした。ただ、その場のちょっと凝った照明のもとでは顔のツヤ感が汗をかいているように見えていた、ようにも思います。おそらく、企業を経営しているその方の日常の仕事着とメイクだったのだと思います。
後半では、はっきりと化粧が変わっていました。目元にしっかりとアイラインが入り、マスカラもしっかりつけ、あと、肌にはっきりとファンデーションがきちんと塗られていて、肌が過剰にテカることがないようになっていました。

以下は推測でしかないです。おそらく、優秀な企業人でもあるその方は、一回目を撮影した後にいろいろとチェックを入れて「テレビでこうありたい自分」をプロの目を入れてチェックを入れた結果、前半と後半で見た目がガラッ、と変わることを決断したのだと考えます。
ちなみに、その時の対談相手の男性の方は、服装は変わっていましたが、見た目はそれほど変わっていなかったと記憶しています。かける眼鏡を変えたのが目立った変化でしょうか。

 

*               *               *

で、私が何を言いたいかというと。

「普通の女性は、ふだん着で

テレビのスタジオ番組に

出演してはいけない」。

ロケ収録や完全に観客の一人としている場合は別です。万が一、出演者として出ることになってしまったらという場合です。
強いライト、細部まで映すカメラは、日ごろは気にしないで済む服や肌の細かい部分の荒れやアラ、老い、所帯くささや泥くささを想像以上に映し出してしまう。そしてそれをしっかりとカバーできるだけの技術や方法を持った方か、マイナス面があった場合それを魅力に変えることができるだけの力を持つか、どういう姿を映し出されても平気な心持ちの方だけがスタジオにいることができる。性別問わず、年齢問わず、キー局だろうが地方局であろうが衛星局であろうが、どんな小さな番組であろうが。
そういう望まない存在感をカバーするだけのテクニックや方法を持たないで日常をそのままテレビスタジオに持ち込むと、それは残酷なまでに隠せない良からぬ部分を映し出してしまう。そしてそこから得られた視覚情報を私のように過剰に読み取るバカが生み出される(あああ)。

私は、ラジオ番組やweb配信などに出演したことはありますが、幸いにもテレビスタジオでの番組に出演したことはありません。これからもおそらくないとは思いますが、物好きのひとりとして多少人前に立ったり取材されたりする機会が出来た昨今、「見られる」という意味がテレビ画面では他の媒体より意味合いが重くのしかかるのだ、ということは自覚しておきたいと思います。

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2021.10.10「どーも、NHK」、特集「伝統芸能っておもしろい! 日本の宝 伝統芸能を考える」文字起こし

10/10放送「どーも、NHK」

特集「もっと、NHK」伝統芸能っておもしろい!日本の宝 伝統芸能を伝える

礒野祐子(NHKアナウンサー、以下「礒野」) ここからは今日の特集、伝統芸能番組についてお伝えします。
マヤさん、伝統芸能に興味はありますか?
今泉マヤ(タレント、以下「今泉」) はい、私は以前寄席に行ったんですけども、落語家さんたちが
ひとり何役もの表現力、本当に素晴らしくて、もっと行ってみたいな~
とすごく思いました。礒野 引き込まれますよね~。
今泉 はい。NHKではどんな伝統芸能番組を紹介しているんでしょうか?

礒野 こちらがNHKで放送している伝統芸能番組です。
(一週間の番組案内の表)

 


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上がラジオのFM、下がEテレです。ラジオでは歌舞伎・浪曲・邦楽など、様々なジャンルを
放送しているんですね。Eテレでは、毎週金曜日と日曜日に伝統芸能番組を放送しているんですよ。
今泉 こんなにバラエティ豊かにたくさんの番組があるんですね。

礒野 まずは、伝統芸能の魅力を伝えるEテレの番組をご覧ください。

(「にっぽんの芸能」の紹介VTR)

(ナレーション・松岡洋子、以下「松岡」)Eテレ夜9時からの「にっぽんの芸能」。
古典芸能に精通した俳優・高橋英樹さんと中條誠子アナウンサーが、
本格的な芸をわかりやすく伝えます。

(「にっぽんの芸能」番組オープニングVTR)

高橋英樹(俳優・「にっぽんの芸能」司会) 「いずれの様の御贔屓お引き立てのほど、すみからすみまでずずず~い、と乞い願い申し上げ奉りまする~」

(歌舞伎「連獅子」映像)

松岡 今や世界的な人気を集める歌舞伎。でも、初めて見る人にとってはわからないことも多くあります。スタジオでは、専門家を交えて様々な物語の背景や芸の特徴などを詳しく解説。

(「にっぽんの芸能」2020.12.11「まるごと!歌舞伎」"仮名手本忠臣蔵"スタジオ映像)

(上記番組中のコメント)
児玉隆一(早稲田大学教授・以下「児玉」) 忠臣蔵は、本当に四季折々、2月の大序に始まって桜の盛りで切腹をして、勘平は夏の闇の中で事件を起こし、空きの月の祇園一力があって雪の山科・討ち入りまで、一年間の四季折々日本の四季を全部通じて描いているという魅力があります。

高橋 大長編「仮名手本忠臣蔵」堪能いたしましたね。

(文楽「平家女護島」喜界ヶ島の段、鶴沢清介)
(能 観世流能「屋島」弓流)

松岡 歌舞伎・文楽・能・狂言など、古典芸能の世界を初心者でも存分に楽しめる番組です。

高橋 改めて見ると、古典芸能の番組というのは、やっぱり日本の歴史の中に育まれた素晴らしいものであるということが気がつきますので、「あ、やっぱり日本人であって良かったな」と思える瞬間があるんですよ。そういったところを、皆さまと共有できたらいいなというふうに思います。

(調整卓の前)
佐々木治彦(にっぽんの芸能 チーフ・プロデューサー) 古典芸能、伝統芸能というのを定時、特に毎週という形で紹介する番組というのは、おそらくこの番組くらいしかございません。そういった意味でもですね、NHKとしての公共的な価値、文化的な価値というものは十分にあるものだと思いますし、生の舞台・生の公演にもそういったところにも、コロナが収まったらぜひ足を運んでいただく、そんなきっかけになれば嬉しいなと思っています。

(「日本の話芸」冒頭VTR)

松岡 Eテレ、毎週日曜午後2時は「日本の話芸」。落語と講談の第一人者が、一席演じる番組です。
例えば、現代落語界をけん引する春風亭昇太さん。

(春風亭昇太「御神酒徳利」)

松岡 人間国宝の神田松鯉さんの熱演も。
(神田松鯉「水戸黄門より 出世の高松」)


(「日本の話芸」講談セットの前)
大田純寛(日本の話芸エグゼクティブプロデューサー)ご家庭にいても、落語会にいらっしゃるような気分を味わっていただければと思っております。良質な芸を、全国の皆さんにあまねくお届けする、それが私どもNHKとしての役割のひとつなのではないかと思っています。

(能楽堂のセット)
礒野 今日は伝統芸能がテーマ、ということで、能舞台をイメージしたスタジオからここからはお送りします。
お越しいただいたのは、長年国立劇場で古典芸能の公演に携わってこられた織田紘二(おりた こうじ)さんと、演芸専門誌の編集長佐藤友美(さとう ともみ)さんです。お二方、よろしくお願いします。

織田・佐藤 よろしくお願いいたします。

礒野 織田さん、まずこの新型コロナの状況の中で、舞台関係大変厳しい状況なのかなと思いますが、現状どのような状況なのでしょうか。

織田紘二(以下「織田」) 伝統芸能だけではないんでしょうが、どの舞台も皆さん苦しんでいらっしゃいます。
しかし、そういう中でもだんだん次第に元気になっていらっしゃるということと、それから演者もやっぱり舞台を待っているということと、とにかく見るもの聴くものに飢えていたんじゃないかと、本当にいい客席の空気を味わうことができていますね、今。

佐藤友美(以下「佐藤」) 寄席はもう随時開いているんですけども、やっぱりまだコロナ禍で思うように足を運べない演芸ファンがたくさんいる中で、落語と講談と浪曲はやっぱり主に東京や大阪の繁華街で発展した芸能なので、日常的に聴きに行くことがなかなかできない中、NHKの演芸番組は、みんな心待ちにしていると思います。

礒野 NHKでは、あまたの名人たちの芸を放送して、それを保存しています。こうしたNHKの取り組みについて、どう思われますか。

織田 やっぱり映像と音の記録というのは、アーカイブされているものというのは、本当に日本の宝だと思いますね。能の世界っていうのは、600年以上、室町時代からの日本人のしぐさですよね。日本人のしぐさというものを、本当にやっぱり今、舞台に残しているわけですよね。
落語にしても、歌舞伎の特に世話物にしても、やっぱり江戸時代の日本人のものの考え方、それから日本人のしぐさというものを本当にやっぱり見ることができる、聴くことができるというのは貴重だと思いますよね。

佐藤 今は亡くなった師匠の高座を流れてる(原文ママ)のを見ると、ああ、あの時はああだったこうだったいろんな、もう自分の人生と照らし合わせていろんなことを思い出されもしますし。あの、もちろん私が間に合わなかった、生で見ることがかなわなかった名人たちを見ることができるのでありがたいです。

礒野 NHKの伝統芸能番組は、後継者の育成にもつながっています。

(浪曲師・真山隼人の舞台)

松岡 真山隼人さん。26歳の浪曲師です。小学校の頃からラジオで伝統芸能に親しんできた隼人さん。
中学2年生の時に聴いたNHKのラジオ番組が、プロを目指すきっかけとなりました。

(ラジカセの映像・ディスプレイには「AM 1161」の文字)

およそ50年前から続いている「浪曲十八番」。毎回、第一線で活躍する浪曲師が一席を演じる番組です。隼人さんが聴いたのが、真山広若さんのこの一席。

テロップ(真山広若(現・二代目真山一郎)「俵星玄蕃」浪曲十八番、2009年2月12日放送の音源が流れる)

普通は三味線の伴奏だけの浪曲を、オーケストラをバックに演じるという大胆なアレンジです。

真山(リモート取材) 「なんじゃこれは!」と思いましたね。もう衝撃的で、3日間寝られないくらいの衝撃をドーンと与えてもらってですね、「この浪曲やってみたいな」と思ったのが第一印象ですね。

ナレ 手紙で頼み込み、15歳で弟子入り。翌年から舞台に上がり、技を磨き続けました。そして、23歳で、文化庁芸術祭新人賞を受賞しました。今、FMの「浪曲十八番」に名だたる名人たちと共に、毎年出演するように
なっています。

(真山隼人の音源)
テロップ(「雨月物語 仏法僧」FM「浪曲十八番」ことし(原文ママ)4月22日放送)

真山 僕が聴いて弟子入りした番組に、自分も出られるようになったんだという、この気持ちはうれしくて、もう毎年、一年に一回、最近出させていただいてるんで「次、何しようかな」と、人生に彩りを与えてくれる番組です、はい。

(能舞台セットに戻る)

礒野 真山隼人さんのように番組がきっかけで、浪曲のとりこになってプロになったという方もいらっしゃるんですね~。今の若い世代にとっても伝統芸能というのはじゅうぶん魅力があるものなんですね、佐藤さん。

佐藤 昭和から平成ぐらいまでにかけては、落語や講談というのはちょっと古臭いものとして若い方から敬遠されていたところもあると思うんです。ただ、それが一周回って古いけど格好いい、新鮮なものとしてまた今ちょっと受け入れられているのかなあと思います。
その芸をいいと思えるアンテナを持った若い世代が必ずどこかにいて、それをキャッチして、番組をきっかけにのめりこむ、で、番組をきっかけにのめりこんでプロになる人がいるし、一方で観客として見巧者として育っていく。そうやってその芸が継承されていくので、これからも演芸番組は続いてほしいし、続くことが重要だと思います。

織田 うん、本当に若いファンというのが増えてきて「くれないと(力入る)」、伝統芸能というのは、本当、あの、ますます、やっぱり元気になってゆけないと思いますね。また歌舞伎の世界でも、また能の世界でも、非常に若い演者が増えておりますので、やっぱり若い演者と若いファンが一緒に成長してもらいたいと、そういうふうに思いますね、はい。

礒野 なるほど。伝統芸能を次の世代に伝えるためには、公共メディアであるNHKにどんなことを期待されますか。

織田 僕はNHKという公共放送のこれは役割として、これは本当にもう義務だというふうに思いますね。本当に役割はもう日本の伝統を、そして日本の伝統芸能を含めてですけれども、日本の伝統文化というものを、いかにやっぱりそれを一般国民のために提供していただけるかというのはもう大事なお仕事だと思います。ぜひこれは絶やさないでいただきたいというふうに切望します。

佐藤 最初に普通に古典落語を聴いて「ちょっと難しいな」って思っている子ども向けに親子で楽しめる落語番組ですとか、例えば中学生や高校生が自分の日常と地続きでわかりやすい落語番組などがあれば、演芸ファンにもなるきっかけにもなると思います。

礒野 ますますこれから伝統芸能の伝え方というのも、私たちも考えたり工夫ができそうだなとお話を聴いていて感じました。織田さん佐藤さん、今日は貴重なお話、どうもありがとうございました。

織田・佐藤 どうもありがとうございました。

 

(文字起こし終わり)

 

 

 

 

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レッドと金麦、嫁の違いを考える。

テレビで大原麗子の特集をやっていたのを見てしまい、思い出して昔彼女がやっていたサントリーのウイスキーのコマーシャル集を見てしまいました。

大原麗子 サントリー レッド・オールドCM集 (追加・再編集)

カメラの前で「妻」を演じるのは上手だったけれども、誰かの「妻」でいるのは困難だったのか、ということはさておき、これを見て思い出したのは、現在同じサントリーで放送している「金麦」のCMシリーズでした。

いいなCM サントリー 金麦 檀れい集 vol.1

どちらも大好きな夫がいて、その夫の前で自然に可愛くふるまって「一緒にお酒でも飲みましょ」と言っている。そして酒を飲めばさらに可愛くなることが暗示されている。そのシチュエーションは変わらない。でも、どこか違う。どちらがいい悪いではなく違う。その違いはどこなのか。

以下、便宜上出演する女優さんのお名前でCMを表現しますが、これは女優さんの個性の違いに由来するものではないと思います。その上で。

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「アイドル|ファンの原罪 ーそれでもあなたの幸せを本気で祈ってるんだよー」

4/9(木)19:00~21:30 浜松・黒板とキッチン

ハロプロファンの野村さんと、嵐を中心にしたジャニーズファンのかとうさん。
アイドルをただ好きでいるだけではなく、その好きの気持ちの後ろに、自分の思いを乗せてしまっている心苦しさをなぜか共有する女性おふたかた。
ふたりの会話に興味を持った劇作家の岸井さんが、静岡の野村さんと名古屋のかとうさんを中間地点の浜松に招いてのトークセッション。
私は野村さんと仕事で一回お会いしたことがあり、その時の印象とfacebookで語られる行動力に圧倒されたので、興味を持って顔を出してみました。

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映画「そうかもしれない」

冬の朝9時半スタート、地元の福祉協議会主催の映画上映会に行きました。

「そうかもしれない」老人介護がテーマの映画、これからの私たちには身につまされてしまいそうなテーマだったので、主演が雪村いづみ・桂春團治でなかったら足を運ばなかったかもしれません。

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