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キラキラ。

   夏の暑い日、母親から電話がかかってきました。
「もしもし、あのね」「はい」
「向かいの家のAさんのお父さんが孤独死した」

えっ。

 

*         *        *

 

私の実家のお向かいのAさん(注:イニシャルではありません)宅。
数年前に奥さんが病気で亡くなってからは、ご主人が広い邸宅にひとりでお住まいでした。お子さんは複数いるのですが、近年家にいるのを見た記憶はありません。いろいろと事情はあったようですが、それはこちらにはわかりません。

「お向かいさんが孤独死した」なんて、娘以外他に話す相手もいないと思います。
母親は私に向かって目の前で繰り広げられたここ数日、そしてついさきほどまでの出来事を電話口で語りました。

毎日会って挨拶していたAさんの顔をここ数日誰も見ていない。
新聞受けに新聞が数日分たまっている。
家のチャイムを押しても誰も出てこない。
…これは何かあったのでは、と町内の皆さん感じたけれども、家に入ることはできない。
Aさんの身内の方の連絡先は町内誰も知らない。
町内で相談して、組長さんが警察に連絡をしたそうです。

通報後しばらくして、警察の方が複数やってきました。

「それがねえ、あんた、警察の人がすごく恰好良かったのよ」
「恰好良かった?」
「うん、3~4人かなあ、きりっとしていて、いつも交番から来るような人と全然違う。若くて本当に恰好良かった、キラキラ✨輝いて」
「キラキラ✨?」
「うん、キラキラ✨」
「いや、でも、それ、交番の人に申しわけなくない? 状況ぜんぜん違うんだから」

…キラキラ✨、ねえ…。

そして、そのキラキラ✨輝いた若い警察官は家の中に入ってゆき、こと切れたAさんを発見。遺体を収容してしかるべきところに持っていったそうです。夏の暑い盛り、遺体がどのような状態だったかは、私の母を含めた町内の方は直接見てはいません。

「ほんっと、警察官が若くてキラキラ✨してたのよ」
「はあ」

母親はキラキラ✨した警察官の様子を事細かにうれしそうに話してくれました。
まさかご近所の孤独死の対応の話を聞いていて「キラキラ✨」なんて単語が出てくるとは思いませんでした。あーびっくりした。

でも、まあ、母親が「キラキラ✨していた」というから、しかるべき対応をしてくださった警察官の方はキラキラ✨輝いていたんだと思います。一種の変死という現場に向かい合う方々は、体力気力ともに充実していて、気合いを入れないとてもこなせないお仕事なのでしょう。
私の思い浮かんだ感想はそんなところでした。
でも、年老いた母親がキラキラ✨した警察官の存在に気持ちが前向きに動いたのだとしたら、それはそれで悪いことではありません。

とはいえ、私は「キラキラ✨輝く警察官に会いたいですか?」 と言われると、「はい」とは言えません。
肩の力の抜けた警察官と時折無難にすれ違うくらいの、のんびりした日常を過ごしたい。

*            *            *

今年の初め、私の母に、テレビの通信販売で買い込んだのであろう「根こんぶだし」を一本おすそ分けしてくださった、お向かいのAさんのご冥福をお祈り申し上げます。根こんぶだしってけっこうしょっぱいんですね。あれは料理ができない男ひとりでは確実に持てあまします。

 

 

 




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普通の女性をテレビで見つめてみた結果。

最近見たテレビから、2例ほど。
(1) バラエティ番組。スタジオで、同じ趣味を突き詰めた女性二人が並んで話をしていました。ひとりは主婦、もうひとりはタレント。同じくらいの知識量でどちらも熱心に話をする。その熱さはともに共感が持てるものでした。

タレントは鮮やかな青色が印象的なノースリーブのブラウスを身に着けていました。そして主婦は、この日のために選んだよそゆきのためのストライプのプリントブラウスじゃないかな。そんなことを思いながらテレビを見ていました。
そのうち、番組が進行して時間が経つにつれて、主婦の服が、強いライトの下で、その服の仕立てや繊維が量販店のものであること、そして何度も洗濯をしたのであろうへたり具合が見えるようになってきました。タレントのブラウスはそんなふうには見えません。二人の服が、

「テレビに出るために購入したわけではない何度か着たよそゆき着」

「テレビに出るために購入した非日常着」

の違いが、テレビカメラの前ではっきりとわかりました。

これが一瞬の出演だけだったら、そんなことまで気づきません。番組が二人を真摯に取り上げ、一緒に並んで少なからぬ時間画面に映り続けているからこそ、タレントの服とははっきり「違う」ことがわかってしまう。それは主婦にとってあまりにも残酷な現実のように思えました。

(2)これは番組名をはっきり言います。NHKEテレ「SWITCHインタビュー 達人達」のある回です。
この番組は、前半と後半で場所を変えての二人の対談番組です。ある時、対談相手の一人として登場した女性のメイクと服装が前半と後半で明らかにはっきりと変わっている、と感じた回がありました。もちろん二回の対談の日付と場所が違うわけですから身に着けるものなどが変わり、それに伴ってヘアメイクを変えるのは当然のことです。ですが、私がその時はっきりと違いを感じたことを覚えているのは

「前半は本人が選んだ服装であり日常のメイク、後半はプロのメイクとスタイリストをつけて場とイメージに合いカメラ映えする最適な服とメイクにした」

ということです。
もちろん前半の服も似合っていましたし、メイクは薄かったですが好感の持てるものでした。ただ、その場のちょっと凝った照明のもとでは顔のツヤ感が汗をかいているように見えていた、ようにも思います。おそらく、企業を経営しているその方の日常の仕事着とメイクだったのだと思います。
後半では、はっきりと化粧が変わっていました。目元にしっかりとアイラインが入り、マスカラもしっかりつけ、あと、肌にはっきりとファンデーションがきちんと塗られていて、肌が過剰にテカることがないようになっていました。

以下は推測でしかないです。おそらく、優秀な企業人でもあるその方は、一回目を撮影した後にいろいろとチェックを入れて「テレビでこうありたい自分」をプロの目を入れてチェックを入れた結果、前半と後半で見た目がガラッ、と変わることを決断したのだと考えます。
ちなみに、その時の対談相手の男性の方は、服装は変わっていましたが、見た目はそれほど変わっていなかったと記憶しています。かける眼鏡を変えたのが目立った変化でしょうか。

 

*               *               *

で、私が何を言いたいかというと。

「普通の女性は、ふだん着で

テレビのスタジオ番組に

出演してはいけない」。

ロケ収録や完全に観客の一人としている場合は別です。万が一、出演者として出ることになってしまったらという場合です。
強いライト、細部まで映すカメラは、日ごろは気にしないで済む服や肌の細かい部分の荒れやアラ、老い、所帯くささや泥くささを想像以上に映し出してしまう。そしてそれをしっかりとカバーできるだけの技術や方法を持った方か、マイナス面があった場合それを魅力に変えることができるだけの力を持つか、どういう姿を映し出されても平気な心持ちの方だけがスタジオにいることができる。性別問わず、年齢問わず、キー局だろうが地方局であろうが衛星局であろうが、どんな小さな番組であろうが。
そういう望まない存在感をカバーするだけのテクニックや方法を持たないで日常をそのままテレビスタジオに持ち込むと、それは残酷なまでに隠せない良からぬ部分を映し出してしまう。そしてそこから得られた視覚情報を私のように過剰に読み取るバカが生み出される(あああ)。

私は、ラジオ番組やweb配信などに出演したことはありますが、幸いにもテレビスタジオでの番組に出演したことはありません。これからもおそらくないとは思いますが、物好きのひとりとして多少人前に立ったり取材されたりする機会が出来た昨今、「見られる」という意味がテレビ画面では他の媒体より意味合いが重くのしかかるのだ、ということは自覚しておきたいと思います。

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