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嫁入り道具の使い道。

結婚して磐田に来る時に、嫁入り道具なんて大層なものはありませんでしたが、ひとつだけ買ったものがあります。

それは
「駿河塗の箱鏡台」
でした。

引っ越した先はごくごく普通の一戸建てです。そこで暮らす上で最低限の化粧品を入れる場所として、静岡駅にある駿府楽市で購入しました。3万円程度かな。5万円はしませんでした。カード決済をしようとしたらうまくゆかなくて、あわてて現金を下ろしたのを覚えています。

箱鏡台の前がふたになっていて、ふたを上に開くと鏡が上につき、中の箱と小さなひきだしが二つ見えます。ひきだしを開けて閉じると、もうひとつのひきだしが勢いでしゅっ、と軽く開きます。ものすごく満足です。

で、この箱鏡台は、現在も化粧の時に利用しているのはもちろんですが、現在、意外なことで重宝しています。

それは
「ネット配信の時のノートパソコン置き場」
です。

zoomなどでオンライン会議をやるようになり、本や荷物で乱雑な部屋を見せるわけにもゆかないので、白壁で物が少ない部屋にパソコンを移し、部屋でクッションに座って配信に参加するようになりました。その部屋にテーブルはあるけれども、ちょっとパソコンは置きづらい位置にある。

そこで、箱鏡台の上にパソコンを載せると、ちょうどノートパソコンのカメラが顔の正面に来ることに気づきました。これは使いやすい。

鏡台の上には黒く小さな丸かんの金具の持ち手がついていて、持ち運びするのに便利でした。それほど運んだりすることはなかったのですが、使い続けるうちに気がついたら取れていました。どこにいったのでしょうか。金具をつけていた小さな別の金具がついていてちょっと不安定ではありますが、配信そのものにおいて大きな支障はない。

人生、何がどう役立ってくれるかわかりません。

目的はともかく、この鏡台とはおそらくずーっと付き合うことになるでしょう。

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あんかけうどんをもう一度。

その日、私は関東高田組のライブに行く予定を立てていました。会場は渋谷パルコクラブクアトロ。

当時、私は渋谷に近い場所でひとり暮らししていましたから、夕食を軽く食べてから会場に行っても十分余裕です。
乾麺をゆでてうどんをつくり、つゆに水溶き片栗粉を混ぜてあんかけうどんを作ろう…としたところ、で突如身体に悪寒が走りました。そして動けなくなりました。

…これはまずい。

そう直感しました。
体温を測ったところ、唐突に38度近い熱。何だこれは?!
鼻のど他に異常はありませんが、とにかく熱で動けない。
うどんは捨てました。ライブの前売チケットは買っていましたが、それどころではありません。
薬を飲んで、寝ることにしました。

翌朝は出勤日。やはり動けない。熱は下がらない。電話をかけて会社は休みました。
食事が入らなくなりました。のどは通るのですが、しばらく経つと食べたものをもどしてしまう。

薬を飲むとどっと汗をかいて熱は下がるのですが、薬が切れるとまたじわじわと上がり、また動けなくなります。
薬で熱が下がっている時に、近所の店に行き、最低限の食料と薬を買って、また寝込む。
頼ることができる人もいなかったので、それで数日過ごしました。

それでも仕事はたまるので、途中熱っぽい身体で一日だけ会社に行き、数時間だけ最低限の仕事をこなしてまた帰宅しました。
のろのろと、会社の最寄りの池袋駅構内を歩いていたら、声をかけられました。

「あなた、今、幸せですか?」

…うるせー今それどころじゃないよ! というか人が弱っている時に声かけてくるんじゃねーよっ!

と言いたかったのですが、こちらは身体がしんどくて、断るのがやっとな状態。人の弱みに付け込む人って、ほんとうにそういう弱った人(つまりあの時の私のような人)を良く見つけるものですね。ある意味感心しましたが、とにかくそれどころではなくて。

熱はそれから数日続きました。何か食べるとすぐにもどします。遠方で医者をやっている女性の友人と連絡が取れて、ふとんの中から相談してみました。
「直接見ていないからわからないけど、もどしてしまうんだったら、胃腸関係じゃない?」
胃腸専門の病院に電話をかけ診てもらうことにしましたが、予約は少し先になりました。

熱は上がっては下がり、下がっては上がりで、食べ物が入らないことも含めて、その状態は一週間以上続いたでしょうか。

ようやく身体が楽になってから病院に行き、生まれて初めて胃カメラを飲みましたが、特に問題は無いということで原因不明ですべては終わりました。

久しぶりに会社に復帰して。

「あれ? (か)さん、痩せてない?」

体調が直った直後はそうでもなかったのですが、しばらくしたらどんどん体重が減ってゆきました。最終的に10kg減ったでしょうか。喜んでいいのか悪いのか、微妙でしたが、まあ、喜びました。(注:今は戻ってます)

結局、あの高熱は何だったのか、もうわかりません。食あたりにしては熱だけという症状が謎ですし、ウイルス性の何かだったのかなあ…と思うこともありますが、別に誰かに何かを移した・移されたわけでもなさそうです。

ひとつだけ言えるのは、あれ以来、乾麺をゆでてのあんかけうどんは作らず食べなくなった、ということです。もう作っても大丈夫かな。

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竹下通りのクレアーズ。

ちょっと骨太で身体が大きめ、茶色系の服が似合うイエローベース。私は自分のことをそう認識しています。
そんな自分が持つアクセサリーの数はそう多くないのですが、そのうちの一本が、この茶色のネックレスです。

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つや消しされた大ぶりの茶色の玉はプラスチック、その間には金属の小さい玉がはさまれていて、黒い糸でつながっています。
購入したのは私が東京でひとり暮らししていた頃ですから、少なくとも10数年前、原宿の竹下通りのアクセサリー屋台で購入しました。その時既に竹下通りを歩くのは気恥ずかしさもあるお年頃でしたが、観劇か美術展か、そんな何か用事があったんだと思います。3種類千円くらいの激安価格でした。
それからいろいろあって東京から静岡に戻り、結婚して今住むところに移ってからも、サマーワンピースやセーターに合わせてつけ倒してきました。夏の汗や化粧品で汚れてベタベタになり、捨てようかなとも思いましたが、ダメだったらあきらめる覚悟で食器用洗剤につけ、たわしでごしごし洗ったところ、見事に復活しました。

そして現在に至る。

ふと思い立ち、チェーンのブランドプレートの部分の文字を解読してみようと思い、写真を撮って拡大してみました。結果がこちら。

見えますか~?

「doire's」? いや、これはおそらく「claire's」です。
懐かしい記憶が一気によみがってきました。

クレアーズ(wikipedia)-

クレアーズ(claire's)は、アメリカ合衆国イリノイ州ホフマンエステーツ(シカゴ郊外)に本社を置くアクセサリー販売店である。1961年、ローランド・シェーファーにより設立され、1970年代にはチェーン展開を始める。日本では1994年にイオンとの合弁会社クレアーズ日本を設立。同社は2010年にイオンが100%出資する子会社になった。イオンモールを中心に店舗を展開していたが、イオンのグループ企業における戦略的整理・統合に伴い、2020年10月末をもってイオンによる日本での事業を終了し、全ての店舗の営業も終了した。

 

私は、静岡のショッピングセンターにあったクレアーズのお店が大好きでした。手ごろな値段で、ティーンや子ども向けのアクセサリーやグッズがたくさん飾られていて、すべての品物が手が届く値段で、過剰なほどにすべての商品がキラキラ輝いていました。ららぽーと磐田や新静岡セノバなど、数年前に次々と店舗が閉店していった時は、何もできなくてほんとうに残念に思っていました。

私が東京から静岡に戻ってきたのが2001年、クレアーズが日本に進出したのが1994年ですから、1990年代に竹下通りに店があってもおかしくありません。いや、竹下通りにお店は間違いなくありました。

【女子の夢】『Claire’s(クレアーズ)』明日ついに完全閉店! 都内最後の店舗に「ありがとう」を告げてきた(ROCKETNEWS24)

2020年10月末、日本で最後に残っていたお店は竹下通り店でした。

今、私の手もとにあるネックレスは、クレアーズの商品というにはちょっと地味な色合いです。でも、少なくとも20年以上、乱暴に扱われてごしごし洗われても、女の子(誰が何と言おうと)のアクセサリーとしてその役割をきちんと果たしてくれています。

私はクレアーズのファンでした。今までも、そしてこれからも。
また日本に戻ってくることがあったら、きっとそのお店の中に入って、自分をかわいく飾ることの幸せに浸ろうと思います。

 

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